レポート by したコメサポーター 清水俊哉
写真 by したコメサポーター 吉岡茂
毎年恒例のコメディ映画講義。初めて国産コメディ映画が取り上げられました。
「こういう雰囲気の中でみんなでコメディ映画を楽しむという貴重な体験も持ち帰って
ください」という、いとうせいこうPのコメントとともに、今年の10月で閉館する浅草
中映劇場での最後のしたコメイベントとなる「内田けんじ監督 コメディ映画講義」が
スタートしました。
最新作『鍵泥棒のメソッド』が、9月15日に公開されたばかりの内田けんじ監督。
いとうせいこうPが話を聞きたくて、みんなに聞いてもらいたくて仕方がなかった
コメディ映画監督です。
『アフタースクール』の上映に続いて、内田監督の映画作り、そしてモノづくりに
ついてのトークイベントがスタート。
「非常な若さで撮ってこのクオリティか!という作品でした」という、
いとうPの言葉に続いて、内田けんじ監督が登壇。
「『運命じゃない人』を見て、凄い監督が出てきたと思い、各所で好きだ好きだと
言い続けてきた」という、いとうP。
20歳から25歳までアメリカ留学して映画の勉強をしてきた内田監督。
「留学ブームで志が低い人でも行けた」と自虐的に語っていましたが、とはいえ、
中学1年のときには、「留学して映画監督になる」と友だちに宣言していたとか。
その内田監督の映画とのかかわりをいとうPが尋ねます。

いとうP:
「中高はテレビ映画を見て、少しずつませてきて映画館で文芸作品を見に行くみたいな時期はあったんですか?」
内田監督:
「重厚なものにあこがれる時期はありましたね。なんだかわかってはいないけど、間がいいなとか言いながら(笑)。
留学先の授業では、映画の歴史や批評の仕方、照明や音などの技術を学んできたというけれど、向こうと日本の現場ではスタッフの呼び方や役割が微妙に違うのに戸惑った。乱捕りといわれて柔道を思い浮かべたくらい(笑)。」
― このあたりから、内田監督の映画作りを解き明かします。
いとうP:
「留学を終えて帰ってきたときに、『WEEKEND BLUES』を撮っているの?」
内田監督:
「いや、違います。そこから脚本を書こうと思って、ずーっと脚本を書いていました。
向こうでも書いていたけど、日本語で書こうと思えばすぐかけると思っていたんです。
それがすぐ書けないんです。日本語になると何でも書けるので逆にだめで。
映像化の可能性ほぼゼロ、誰も読んでくれないようなのをずっと書き続けているのに
疲れ果てました。」
いとうP:
「何年くらい書いていたの?」
内田監督:
「2、3年くらい。その間、ずっとバイトです。バイトしながら書いていました。
脚本は直していかなきゃいけない作業なんですけど、誰も読んでくれないので、
多少ノイローゼ的な感じになっていました。その頃、パソコンで映像編集できるくらい
になっていたので、作ろうと思って作ったのが『WEEKEND BLUES』です。
本当に地元の友だちに手伝ってもらって。」
いとうP:
「演出家としての内田けんじの話ですが、この後、メイキングを見てもらえれば
わかるけど、役者さんに微妙な芝居を付けていくじゃない。
素人にそれをでもやっていたってことでしょ?」
内田監督:
「休日の朝6時から呼び出されて、撮影した。本当に今になって申し訳なかったと思うけど、週末しか撮れないから半年以上かかった。」
― そして「脚本は直していかなきゃいけない」という言葉が気になるいとうP。
話は脚本作りに移ります。
いとうP:
「撮っているうちに脚本を直していくっていう意味?」
内田監督:
「第一稿が上がって、客観的にみられるようになる。そこから直していくっていうことになる。だから脚本は書くっていうより、書き直すっていうことなんだろうなと思う。」

いとうP:
「いくら書いてもほころびが出てくるって不思議でしょう。」
内田監督:
「最初は平面でものを考えている。それがだんだん人物の感情とか、映画の外側でいうと30分で設定を説明したいとか、クライマックスは盛り上げたいとか、中にいるキャラクターの成長だったり、そういうのが組み合わさると立体的になってくる。第一稿でなんとなく家が建つんですけど、よく見るとドアが開かないとか、窓が全く日当たりが悪いとか、その辺をちょこちょこ直すんだけど、結局ドアから直さなくちゃいけなくなる。それで捨てたりするんです。」
いとうP:
「そんなときの気分はどうなの?」
内田監督:
「完全にハイアンドロウですね。でも書いているときは世界一くだらない映画を書いてやろうってやらないと書けないんです。」
いとうP:
「もう絶望だって思った時になぜかアイディアがやってくる。そういう経験ってない?」
内田監督:
「僕のジンクスではないですけど、二日間、とにかく朝起きた瞬間から寝るまで、ずーっと考え続ける。何をしているときも考えている。そうして二日間考え続けると、何かが下りてくる。ずっとエンジンを回し続けていると、もう一個サブエンジンが回ってくるイメージ。そう信じて二日間何も出てこなかったときは、もうダメだと思いましたけどね。」
― モノづくりへの集中力を内田監督から学んだという、いとうP。そのエピソードとは?
内田監督:
「なんか脳の回路が一個しかないんですよね。だから僕は免許持っていない
んですよ。」
いとうP:
「そうそう、俺も免許持っていたけど捨てちゃった。考え事するから、だめだって。」
内田監督:
「横断歩道で考え事していたら、待っているほうが赤になったのを確認してわたりだしたことがある。いいアイディアが浮かんでいるころが危ない。それしか見えなくなっちゃうから、本屋にも入れない、万引きしちゃうから(笑)。何も持たずに本屋で並んでいたこともある。僕の番になった時にお辞儀して帰っちゃった。一度ノートを持たずに外に出てて、ご飯食べに行って、座った瞬間に思いついて、お客さんの意見を書く紙にものすごい勢いで書き始めたら、店員がもうクレームかとびっくりしていた。」
いとうP:
「そういうタイプのモノづくりをする人の仕事は、死なないことだと思う。」

― 書くスピードが追い付かなくて、鉛筆でキーボードに書いていたこともあるという内田監督。アイディアが逃げないようにと必死で出てしまった行動だとか。そんなメモにアイディアを集めていって、内田監督の脚本作りは進行していくそうで。
内田監督:
「箱書きを始めてみようかなと、ワンシーンごとにアバウトに書き始めて、やり直してという作業を繰り返していきます。何回かやっていくうちに、箱書きが最後まで行く。途中ごまかしているんですが、さらに何回か繰り返すうちに、箱書きができて脚本になるかなと思ったときにちょっと間を空けて、隙間のアイディアをためる。それで脚本を書き始めて、全く考えつくしていなかったことに気づいて戻ることもあるんですけど、箱書きで最後まで書けているから、そこから脚本を書くようにしている。」
いとうP:
「それを繰り返して第一稿ができるんだ。」
内田監督:
「できて、直して、何人かの人に見てもらうようにしている。その時の反応で大体わかる。アーこのシーンいいねとか言うときはダメ。そんな時は全部入れ替えちゃう。だから僕のプロデューサーは大変。原作モノではないし、話し合っていたのと全然違うものを出しちゃうから。」
いとうP:
「そういうことに4年くらいかけているんですか?」
内田監督:
「たとえば『鍵泥棒?』の場合は優雅にやってましたね。企画を探したりとか。最後の1?2年くらいでスパートをかけて。」
いとうP:
「そのときに、内田監督の複雑なアイディアをどうやって考えているんですか?」
内田監督:
「やり方としては効率が悪いんだと思う。いろんなパターンのストーリーを作ってみるというか、書いてみるというか。『アフタースクール』でいうと、北沢と神野のロードムービーなわけで、典型的な二人がわかりあって終わるというようなオチが嫌だった。さらに気持ちとして、先生っていうのはとか警察なんてどうせっていう感情に対しての怒りがあって、それをひっくり返したくなった。それでなんとなくのロードムービーにしたくないという葛藤が始まった。でもテーマが先に出ちゃったからプロットを立てるのが大変で、まんま書いたらいいのかとか、どんでん返しみたいな下品なことがやりたいという欲とのバランスを取るのが大変だった。今でも覚えているけど、朝起きた瞬間にすべてがつながるアイディアが出てきた。」
― と、盛り上がったところでお時間に。

「映画だけではなく、小説家でもいい、モノづくりを志す人にはぜひ聞いてほしい」
という、いとうPの意向により、コメディ映画講義の模様は、USTREAMにアーカイブ
されています。下記より視聴できますので、どうぞお楽しみください。
視聴はこちらから→ したコメUST「内田けんじ監督 コメディ映画講義」

プログラム:
内田けんじ監督 コメディ映画講義